
富山の製薬企業が研究者の定着率を高める方法
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富山の製薬企業が研究者の定着率を高める方法
「採用には成功した。でも3年で辞められてしまう。また一から採用し直しだ」——富山県のある製薬企業の研究開発部長が、ため息をつきながらそう話していたことがあります。
富山は「薬都」として300年以上の歴史を持つ日本有数の製薬産業集積地です。配置薬の伝統を受け継ぐジェネリック医薬品メーカー、OTC医薬品メーカー、健康食品・サプリメントメーカー、そして創薬研究を行うバイオベンチャーまで、多様な製薬関連企業が富山に拠点を構えています。
これらの企業にとって、研究者は事業の根幹を支える人材です。しかし、採用した研究者が定着せず、数年で離職してしまうケースが後を絶ちません。首都圏や関西圏の大手製薬企業への転職、アカデミアへの回帰、バイオベンチャーへの移籍——研究者の流動性が高まる中で、「富山の製薬企業に長く留まってもらう」ための仕組みづくりが急務になっています。
私は500社以上の企業の人事に関わってきましたが、研究者の定着は「待遇の問題」だけでは語れないと感じています。研究者がその会社に留まる理由は、「研究環境」「キャリアの展望」「組織の文化」——この三つが複合的に作用しています。
研究者が「辞める理由」を正確に把握する
研究者の離職を防ぐためには、まず「なぜ辞めるのか」を正確に理解することから始める必要があります。
「研究テーマの魅力の低下」は、研究者にとって最も大きな離職動機の一つです。自社の研究テーマに将来性を感じなくなった、あるいは自分が取り組みたいテーマと会社の研究方向性がずれてきた——こうした「研究への情熱の喪失」は、報酬では補えません。
「キャリアパスの不透明さ」も大きな要因です。「研究者としてこの先どうなれるのか」が見えないと、「他の会社で新しい挑戦をした方がいいのではないか」という考えが生まれます。特に、管理職にならないとキャリアアップできない構造は、研究に専念したい研究者にとってストレスです。
「研究環境の制約」として、設備の老朽化、研究予算の削減、学会発表の制限、研究の自由度の低下——こうした要因が、研究者の「この会社で良い研究ができるのか」という不安につながります。
「生活環境の課題」も無視できません。配偶者のキャリアの問題、子どもの教育環境、地方都市での生活への不満——特に都市部から転職してきた研究者にとって、北陸の生活環境への適応が離職のリスク要因になることがあります。
研究者の定着率を高める5つの施策
施策1:研究テーマへの「参加感」を高める
研究者がモチベーションを維持するためには、自分が取り組んでいる研究テーマに「意味」と「可能性」を感じていることが重要です。
「研究テーマの選定プロセスに研究者を参画させる」ことが効果的です。会社の研究方向性を経営と研究部門が一方的に決めるのではなく、個々の研究者の専門性や関心を踏まえた上で研究テーマを設計する。「自分が関わった研究テーマ」への当事者意識は、外から与えられたテーマへのそれとは大きく異なります。
「自由研究時間」の設定も検討に値します。業務時間の一定割合(例えば10〜20%)を、個人の裁量で研究テーマを探求する時間として確保する。この時間が、新たな研究シーズの発見や、研究者のモチベーション維持に寄与します。
施策2:研究者のキャリアパスを「複線化」する
研究者が「管理職以外に成長の道がない」と感じる状態は、離職リスクを高めます。
「研究スペシャリストコース」を設け、管理職にならなくても専門性を深めながら処遇が上がるキャリアパスを用意します。「主任研究員」「上級研究員」「フェロー」——こうした専門職の等級を設け、各等級に応じた報酬レンジを設定することで、研究に専念しながらキャリアアップできる道筋を示します。
「マネジメントコース」と「スペシャリストコース」の間での転換を可能にすることも重要です。「一度マネジメントに行ったら研究に戻れない」という構造は、研究者の不安を招きます。
施策3:学術活動の支援と奨励
研究者にとって、学会発表や論文投稿は自身の専門性を証明し、研究者コミュニティとのつながりを維持する重要な活動です。
学会参加費・旅費の会社負担、発表準備のための時間確保、論文投稿の奨励と成果への評価反映——こうした支援は、研究者の「この会社は研究者を大切にしている」という認識を強化します。
富山のある製薬企業では、「学術成果手当」として、学会発表1件につき3万円、論文掲載1件につき10万円の報奨金を設けていました。金額自体は大きくないものの、「研究活動が会社から認められている」というシグナルが、研究者のモチベーションを支えていたといいます。
施策4:研究設備と環境への継続的な投資
研究設備の充実度は、研究者の満足度と直結します。
分析機器の更新、実験設備の拡充、データ解析環境の整備——こうした設備投資を計画的に行い、「この会社の研究設備は最先端」という状態を維持することが、研究者の定着を支えます。
「設備投資計画」を研究者に共有することも効果的です。「来年度、○○分析装置を導入する予定です」「3年後までに、データサイエンスの環境を整備します」——こうした将来の投資計画が見えることで、研究者は「この会社の研究環境は良くなっていく」という期待を持てます。
施策5:「生活の質」を支える包括的なサポート
特に都市部から転職してきた研究者にとって、富山での生活への適応を支援することが定着率に影響します。
住居探しの支援、配偶者のキャリアサポート、子どもの教育環境の情報提供、生活インフラの案内——入社後の一定期間、生活面のサポートを手厚く行うことで、「富山での生活は思ったより快適だ」という実感を早期に持ってもらうことが大切です。
研究者同士のコミュニティを社内に作ることも効果的です。「同じ会社の研究者が集まるランチ会」「異分野の研究者との情報交換会」——こうした場が、研究者の孤立を防ぎ、組織への帰属意識を高めます。
ある富山の製薬企業が定着率を改善した話
富山県のあるジェネリック医薬品メーカーの事例をお話しします。
この企業は社員数約200名で、製剤研究部門に30名の研究者を抱えていました。しかし、研究者の3年以内離職率が30%を超えており、採用した研究者の3人に1人が3年以内に辞めてしまう状態でした。
離職者への面談を行ったところ、主な理由は「キャリアパスが見えない」「学会活動が制限されている」「研究テーマの幅が狭い」の3つでした。
まず、研究者のキャリアパスを「研究スペシャリストコース」と「研究マネジメントコース」の2本立てに再設計しました。スペシャリストコースには「主任研究員→シニア研究員→主席研究員」の3段階を設け、各段階の要件と報酬レンジを明文化しました。
次に、学会活動の支援を強化しました。年間の学会参加予算を研究者一人あたり30万円に設定し、発表の準備に必要な時間を業務時間として認めました。「学術成果」を評価項目に加え、論文や発表の実績がキャリアアップに反映される仕組みにしました。
さらに、「自由研究時間」として、月の業務時間の15%を自分の関心あるテーマの探索に使える制度を導入しました。この時間から生まれた研究シーズが、2年後に新製品の開発につながったケースもあったといいます。
3年間でこれらの施策を段階的に実施した結果、研究者の3年以内離職率が30%から12%に改善しました。研究開発部長は「研究者が『この会社で研究を続けたい』と思える環境を作ることが、最も重要な人事施策だった」と振り返っていました。
定着施策を「経営数字」で語る
研究者の定着施策を経営に提案するとき、数字で語ることが不可欠です。
研究者1名の離職コストを試算します。採用コスト(エージェント手数料、選考工数)が150〜300万円、入社後の立ち上がり期間(6ヶ月〜1年)の生産性損失が200〜400万円、離職に伴う研究プロジェクトの遅延コストが測定困難ですが確実に存在します。合計すると、研究者1名の離職で少なくとも350〜700万円のコストが発生します。
3年以内離職率を30%から12%に改善した場合、30名の研究部門で年間の離職者が3名から1名程度に減り、年間で数百万円のコスト削減になります。定着施策への投資(キャリア制度の設計、学術支援予算、自由研究時間のコスト)と比較すれば、十分に合理的な投資です。
よくある失敗パターン
「給与を上げれば研究者は辞めない」と考える
研究者の離職動機は報酬だけではありません。研究環境、キャリアの展望、学術活動の自由度——こうした要素が複合的に影響します。報酬だけを上げても、他の要素が不十分であれば定着は改善しません。
研究者を「管理職」に上げることだけがキャリアアップだと考える
研究に専念したい研究者にとって、管理職への昇進は「報酬」であると同時に「研究時間の喪失」でもあります。スペシャリストとしてのキャリアパスを用意することが不可欠です。
学会活動を「業務外」として扱う
学会活動は研究者の専門性を維持・向上させる重要な活動であり、結果として会社の研究力を高めます。「業務外の趣味」として扱うのではなく、「業務の一環」として評価に組み込むべきです。
「事業を伸ばす人事」を富山の製薬産業から
富山の製薬企業が持つ研究力は、300年の伝統に裏打ちされた貴重な資産です。その研究力を支えているのは、一人ひとりの研究者です。
研究者の定着率を高めることは、「人を引き留める」ことではなく、「研究者がこの会社で研究を続けたいと思える環境を作る」ことです。その環境は、研究テーマへの参加感、キャリアの複線化、学術活動の支援、設備への投資、そして生活の質のサポート——これらの組み合わせで実現します。
「薬都富山」の未来は、そこで働く研究者たちの情熱と能力にかかっています。その情熱を支え、能力を引き出す組織をつくること。それが、富山の製薬企業の人事に求められている使命ではないかと思います。
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