北陸の中小企業が組織の「暗黙知」を形式知に変える方法
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北陸の中小企業が組織の「暗黙知」を形式知に変える方法

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北陸の中小企業が組織の「暗黙知」を形式知に変える方法

「あの人が辞めたら、この仕事のやり方がわかる人がいなくなる」——石川県のある部品メーカーの工場長が、ベテラン社員の退職予定を聞いて青ざめた顔でそう話していたことがあります。

北陸の中小企業には、長年の業務の中で蓄積された「暗黙知」が膨大に存在します。暗黙知とは、文書化されていない知識やノウハウのことです。ベテラン社員の頭の中にある業務の勘所、「こういう場合はこう対処する」という経験則、顧客との関係構築の秘訣、品質を左右する微妙な手加減——こうした知識は、日常業務の中で自然に活用されていますが、「その人がいなくなったら消える」という状態にあります。

暗黙知を「形式知」——文書、マニュアル、データベースなど共有可能な形——に変換することは、組織の持続性を確保するための重要な取り組みです。しかし、多くの北陸の中小企業では「暗黙知の形式知化」が進んでいません。

私は500社以上の企業の人事に関わってきましたが、暗黙知の形式知化は「マニュアルを作ること」だけでは完結しないと感じています。暗黙知の中には、文書化できるものとできないものがあり、それぞれに適した伝承の方法を設計する必要があります。


なぜ暗黙知の形式知化が急務なのか

北陸の中小企業で暗黙知の形式知化が急務になっている理由は、いくつかあります。

第一に、ベテラン社員の大量退職です。北陸の中小企業では、50代後半〜60代のベテラン社員が組織の中核を担っているケースが多いです。このベテラン層が今後5〜10年で退職していく中、彼らの頭の中にある知識が組織から失われるリスクは年々高まっています。

第二に、属人化による経営リスクです。「あの人にしかわからない業務」が多い組織は、その人の不在(休職、退職、異動)で業務が停滞します。属人化は短期的には効率的に見えますが、中長期的には組織の脆弱性を高めます。

第三に、人材育成の効率化です。暗黙知が形式知化されていない組織では、新入社員の育成が「先輩について見て覚える」というOJT頼みになります。教える側のスキルや時間に依存するため、育成の質にばらつきが出ます。形式知化されたマニュアルや教材があれば、育成の基盤が安定します。

第四に、業務改善の出発点です。暗黙知が可視化されることで、「なぜこのやり方なのか」「もっと効率的な方法はないか」という改善の議論が始まります。暗黙知のまま放置されている業務プロセスは、改善の対象にもなりません。


暗黙知にはどんな種類があるか

暗黙知を形式知化するためには、まず暗黙知の種類を理解する必要があります。

「手続き的な暗黙知」は、業務の手順やプロセスに関する知識です。「この作業は、まずAをして、次にBをして、Cの状態を確認してからDに進む」——こうした手順は、マニュアルやフローチャートとして形式知化しやすい部類です。

「判断の暗黙知」は、状況に応じた意思決定のノウハウです。「この数値がこの範囲なら問題ないが、この水準を超えたら対処が必要」「クライアントがこう言ったときは、本音はこうだから、こう対応する」——こうした判断基準は、文書化はできるものの、実際の場面で適用するには経験が必要です。

「感覚的な暗黙知」は、身体的な技能や「勘」に関する知識です。「この音がしたら機械の調子が悪い」「この色味になったら加工のタイミング」——こうした感覚は、文書化が極めて難しく、OJTや繰り返しの実践を通じてしか伝承できません。

「関係性の暗黙知」は、人間関係やネットワークに関する知識です。「あの取引先の担当者はこういう性格だから、こうアプローチすると良い」「社内でこういう案件は、まず○○部長に根回しすると通りやすい」——こうした関係性の知識は、引き継ぎの過程で意図的に伝える必要があります。


暗黙知を形式知に変える5つのアプローチ

アプローチ1:業務マニュアルの作成

最も基本的なアプローチは、業務の手順をマニュアルに文書化することです。

マニュアル作成のポイントは、「なぜその手順なのか」の理由も含めて記述することです。手順だけを書いた「手順書」と、理由を含めた「マニュアル」では、読んだ人の理解度が大きく異なります。

「この工程では温度を180度に設定する。200度を超えると素材が変質するため、余裕を持った温度設定にしている」——こうした「なぜ」の情報が、暗黙知の本質的な部分です。

アプローチ2:動画マニュアルの制作

文書では伝えにくい作業を、動画で記録します。ベテラン社員が実際に作業している様子を撮影し、「ここがポイントです」「この音がしたら次の工程に移ります」といった解説をつけます。

スマートフォンで撮影する簡易的な動画でも十分に効果があります。富山のある金属加工メーカーでは、ベテラン技術者の作業を週に1本ずつ動画で記録し、社内の共有フォルダに蓄積しています。「動画を見てから現場で教わると、理解のスピードが違う」という若手社員の声が出ています。

アプローチ3:「ナレッジインタビュー」の実施

ベテラン社員に対して、計画的にインタビューを行い、その人の頭の中にある知識を引き出して記録します。

「この業務で最も難しいのはどの部分ですか」「よくあるトラブルとその対処法を教えてください」「新人がつまずきやすいポイントはどこですか」「過去に大きな失敗をした経験とそこから学んだことは」——こうした質問を通じて、ベテランの経験知を言語化します。

インタビューの内容は、録音・書き起こしの上、「ナレッジシート」として整理します。このプロセスは、ベテラン自身も「自分が無意識にやっていたことを改めて認識する」機会になります。

アプローチ4:「ペア作業」による伝承

感覚的な暗黙知は文書化が難しいため、「ベテランと後継者がペアで作業する期間」を意図的に設けます。

ベテランの作業を横で見る→一緒に作業する→後継者が主体で作業し、ベテランが見守る——この3段階の移行を、計画的に進めます。この過程で、「言葉にはしにくいが、見ればわかる」「やってみて体で覚える」タイプの暗黙知が伝承されます。

アプローチ5:「失敗事例データベース」の構築

過去の失敗事例とその対処法を、データベースとして蓄積します。

「こういう条件で加工したら不良が出た。原因はこうで、対策としてこうした」「クライアントにこう提案したら失敗した。次はこうアプローチして成功した」——失敗事例は、組織にとって最も価値のある暗黙知の一つです。失敗を「隠すもの」ではなく「共有して学ぶもの」として位置づけることが重要です。


ある富山の製造業が暗黙知の形式知化に取り組んだ話

富山県のある化学品メーカーの事例をお話しします。

この企業は社員数約80名で、製造現場には30年以上の経験を持つベテラン技術者が5名いました。この5名が品質管理の要を担っていましたが、全員が55歳以上で、5年以内に3名が定年退職を迎える予定でした。

問題は、この5名の知識のほとんどが「頭の中」にあることでした。製造プロセスのマニュアルは10年前に作られたものが存在していましたが、「実際にはこのマニュアルとは違うやり方でやっている」「マニュアルに書いていないコツがたくさんある」という状態でした。

まず、5名のベテラン全員に「ナレッジインタビュー」を実施しました。1人あたり2時間のインタビューを3回、計30時間のインタビューです。「この工程で最も注意すべきことは」「品質トラブルが起きたときの判断基準は」「新人に必ず伝えたいことは」——こうした質問を通じて、ベテランの経験知を録音し、書き起こしました。

次に、書き起こしの内容を整理し、「業務ナレッジシート」として100ページ以上のドキュメントにまとめました。手順書の更新にとどまらず、「判断の基準」「よくあるトラブルと対処法」「過去の失敗事例と教訓」も含めた包括的な知識集です。

さらに、重要な作業10工程について動画マニュアルを制作しました。ベテラン技術者が実際に作業する様子をスマートフォンで撮影し、「ここで温度計の数値を確認する」「この状態になったら次のステップに進む」という字幕付きの5〜10分の動画です。

これらの資料を基盤にして、ベテラン1名と後継者1名の「ペア配置」を開始しました。半年間、同じシフトで同じ工程を担当し、日常業務の中で暗黙知を伝承する体制です。

1年後、後継者3名が「一人で作業可能」なレベルに到達しました。品質管理の判断についても、「ナレッジシートと動画で基礎を学び、ペア作業で応用を身につけた」という流れが機能しました。

ベテラン技術者の一人は「自分の中にあった知識を言葉にするのは大変だったが、やってみたら『自分はこんなにたくさんのことを知っていたんだ』と改めて気づいた。後輩に伝えられて良かった」と話していました。


暗黙知の形式知化で注意すべきこと

暗黙知の形式知化を進める際に、いくつかの注意点があります。

「すべてを文書化しようとしない」ことが重要です。感覚的な暗黙知は、文書化しても伝わらないことがあります。文書化できるものは文書化し、文書化が難しいものはOJTやペア作業で伝承する——方法を使い分けることが大切です。

「ベテランの心理的抵抗に配慮する」ことも必要です。「自分の知識を教えたら、自分の存在価値がなくなるのではないか」——こうした不安を持つベテランは少なくありません。「あなたの知識は会社の財産です。それを組織に残してくれることに感謝しています」というメッセージと、知識伝承への貢献を評価に反映する仕組みが、ベテランの協力を引き出します。

「一度作って終わりにしない」ことも大切です。マニュアルやナレッジシートは、業務の変化に応じて更新する必要があります。「年に1回の見直し」をルール化し、最新の状態を維持します。


暗黙知の形式知化を「経営数字」で語る

この取り組みを経営に提案するとき、数字で語ることが重要です。

「技術の喪失リスク」を試算します。ベテラン技術者の退職により品質管理の精度が低下し、不良率が1%上昇した場合、年間売上10億円の企業で1,000万円のコスト増です。主要取引先からの信頼低下による受注減も加味すれば、影響はさらに大きくなります。

一方、形式知化のコストは、インタビューの工数(30時間+整理・文書化の時間)、動画制作費(内製なら数万円、外注でも50〜100万円)、ペア配置の人件費——初年度で200〜400万円程度です。

「暗黙知の形式知化への投資400万円で、技術喪失による年間1,000万円以上の損失リスクを防ぐ」——この試算が、投資判断の根拠になります。


よくある失敗パターン

マニュアルを作っただけで満足する

マニュアルは「作ること」が目的ではなく「使われること」が目的です。作ったマニュアルが共有フォルダの奥に埋もれて誰も見ない——こうした状態を防ぐために、新人教育や日常業務の中でマニュアルを活用する仕組みを作ることが重要です。

ベテランに「全部書き出してください」と丸投げする

ベテラン社員は「何がわからないかがわからない」ことが多いです。自分にとって当たり前のことは、書く必要がないと思ってしまいます。第三者(人事や後継者)がインタビューで質問することで、「当たり前すぎて言語化していなかったこと」を引き出すことができます。

「完璧なマニュアル」を目指して着手が遅れる

完璧なマニュアルを目指すと、いつまでも完成しません。70%の完成度でまず作り、使いながら修正していくアプローチが現実的です。


「事業を伸ばす人事」を北陸の暗黙知の形式知化から

北陸の中小企業の強みは、長年にわたって蓄積された技術やノウハウです。しかし、その強みが「特定の人の頭の中」にしか存在しない状態は、組織にとって大きなリスクです。

暗黙知を形式知に変えることは、ベテランの知識を「個人の財産」から「組織の財産」に転換する取り組みです。この転換によって、人材育成の効率が上がり、業務の属人化が解消され、組織の持続性が高まります。

北陸の中小企業が、何十年もかけて培った知識と技術を次の世代に確実に引き継ぎ、さらに発展させていくこと。その地道な取り組みが、組織の力を底上げしていくのではないかと思います。

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