
北陸新幹線延伸で採用市場が変わった——人事はこの変化にどう向き合うか
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北陸新幹線延伸で採用市場が変わった——人事はこの変化にどう向き合うか
「新幹線が延びたら人が来るようになると思っていたのに、むしろ流出が増えている気がする」——北陸新幹線の敦賀延伸後、ある石川県の企業の人事担当者がこう漏らしていました。
2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸は、北陸三県(富山・石川・福井)の交通アクセスを大きく変えました。福井から東京が約3時間、金沢から大阪方面へのアクセスも改善され、北陸と大都市圏の距離は物理的にも心理的にも縮まっています。
この変化は、北陸の採用市場に光と影の両面をもたらしています。人材が「来やすくなった」のは事実ですが、同時に「出ていきやすくなった」のも事実です。この双方向の変化を正しく理解し、人事戦略に組み込むことが、北陸の企業に求められています。
私は500社以上の企業の人事に関わってきましたが、交通インフラの変化が採用市場に与える影響は、多くの企業が想像する以上に大きいと感じています。北陸新幹線延伸がもたらす変化とその対応について、考えていきます。
新幹線延伸が採用市場に与えた3つの構造変化
北陸新幹線の延伸が採用市場にもたらした変化は、大きく3つに整理できます。
第一の変化は、「採用候補者の地理的範囲の拡大」です。首都圏や関西圏からの転職候補者にとって、北陸へのアクセスが改善されたことで、「北陸で働く」という選択肢が現実味を帯びてきました。面接のために日帰りで往復できるようになったことで、候補者が選考に参加するハードルが下がっています。
第二の変化は、「人材流出リスクの増大」です。逆に、北陸在住の人材にとって、首都圏・関西圏の企業が「通勤可能」または「気軽に転職検討できる距離」になりました。特に若手人材が「都市部で経験を積みたい」と考えたとき、物理的な障壁が低くなっています。
第三の変化は、「リモートワーク+新幹線通勤」という新しい働き方の出現です。週のうち数日をリモートワークとし、残りの日に新幹線で都市部のオフィスに通勤するスタイルが、一部の業種で現実的になっています。この働き方は、「北陸に住みながら都市部の企業で働く」という選択肢を生み出しており、北陸の企業にとっては採用競争相手が増えたことを意味します。
これらの変化は、「新幹線が延びれば人が来る」という単純な楽観論を否定しています。交通アクセスの改善は、人材の「双方向の流動性」を高めるものであり、その流動性をプラスに活かすための戦略が必要です。
データで見る北陸の採用市場の変化
採用市場の変化を「感覚」ではなく「数字」で把握することが、人事の対応を正確にするための出発点です。
北陸三県の有効求人倍率は、全国平均を上回る水準で推移しています。特に製造業、建設業、医療・福祉分野の人材不足は深刻で、求人を出しても充足しない状態が続いています。
一方で、北陸三県から首都圏・関西圏への転出者数にも注目が必要です。特に20〜30代の若年層の転出傾向は、地域の産業にとって長期的な人材供給の脅威です。
北陸新幹線延伸後の変化として、いくつかの傾向が見えてきています。
転職エージェントの報告によると、北陸在住者の「都市部の求人への応募」が増加傾向にあるとのことです。「アクセスが良くなったから、一度都市部の求人も見てみよう」という心理が働いているのかもしれません。
一方で、首都圏・関西圏から北陸への転職相談も一定数増えているという報告があります。ただし、実際の転職成立にまで至るケースは、まだ限定的です。「北陸に興味はあるが、情報が少ない」「どんな企業があるか見えない」——こうした情報の壁が、候補者の行動を止めている面があります。
人事がまず取り組むべきは、自社の採用データを整理することです。「過去3年間の応募者の居住地域の内訳」「内定辞退の理由」「入社1年以内の離職理由」「最近離職した社員の転職先の地域」——こうしたデータから、新幹線延伸の影響が自社にどの程度及んでいるかを把握できます。
「来てもらう」ための採用戦略
新幹線延伸を採用の追い風にするためには、「北陸で働く魅力」を戦略的に発信する必要があります。
首都圏・関西圏の候補者にとって、「北陸に転職する」という意思決定には、キャリア面と生活面の両方で不安があります。その不安を解消する情報を、採用プロセスの中で丁寧に提供することが重要です。
キャリア面では、「北陸でもこういう仕事ができる」「こういう成長機会がある」ということを具体的に示す必要があります。都市部で働いてきた候補者が懸念するのは、「キャリアダウンにならないか」「仕事の規模が小さくならないか」「スキルが陳腐化しないか」——こうした不安です。
これに対して、「北陸の企業だからこそできる仕事」のストーリーを用意することが有効です。「中小企業だから、経営の近くで仕事ができる」「大手ではできない幅広い経験が積める」「地域の産業を支える社会的意義のある仕事」——こうしたメッセージが、都市部での大規模組織の歯車的な働き方に疲れている人材には響きます。
生活面では、北陸の生活の具体像を伝えることが大切です。住環境、教育環境、医療環境、自然環境、食文化——これらの情報を、数字と体験談の両方で伝えます。
「東京では家賃12万円で1LDKだったが、金沢では同じ金額で庭付き一戸建て」「通勤時間が90分から15分になった」「子どもが自然の中で伸び伸び育てられる」——こうした具体的な比較が、候補者のイメージを膨らませます。
採用プロセスの中に「生活体験」を組み込む企業も出てきています。最終面接の前後に、候補者(とその家族)に北陸の生活環境を実際に見てもらう「生活ツアー」を実施する。住宅エリアの案内、保育園・学校の紹介、地域の先輩移住者との座談会——こうした体験が、転居への不安を軽減します。
「出ていかれない」ための定着戦略
新幹線延伸による人材流出リスクに対しては、「いま働いている社員が辞めない」ための施策が必要です。
社員が離職を考えるきっかけは、多くの場合「会社への不満」よりも「外部の選択肢が見えたこと」です。新幹線延伸により、「都市部の求人に応募してみようか」と思うハードルが下がった今、「今の会社に留まる理由」を社員が自分の中に持てているかどうかが問われます。
定着のための施策として、いくつかの視点があります。
「キャリアの見える化」は基本です。「この会社で3年後、5年後にどうなれるか」が見えている社員は、外部の選択肢に惑わされにくくなります。キャリアパスの明示、定期的なキャリア面談、スキルアップ支援——こうした仕組みが、社員のキャリア不安を軽減します。
「報酬の競争力確認」も重要です。都市部の企業との報酬比較を定期的に行い、著しいギャップがないか確認する必要があります。北陸の生活コストの低さを加味した「実質的な豊かさ」を含めて、報酬の総合的な競争力を整理しておくことが大切です。
「働き方の柔軟性」は、特に若手の定着に影響します。リモートワーク、フレックスタイム、副業許可——こうした柔軟な働き方を提供できる企業は、「都市部の企業でなくても、自分らしい働き方ができる」という理由で選ばれます。
ある富山のメーカーでは、新幹線延伸後に若手エンジニアの離職が続いたことをきっかけに、「エンゲージメントサーベイ」を実施しました。その結果、離職の主因は「給与」ではなく「キャリアの見通しの不透明さ」だったことが判明。キャリアパスの可視化と定期的な1on1面談を導入した結果、翌年の離職率が前年比で改善したといいます。
リモートワーク時代の「北陸で働く」の再定義
新幹線延伸とリモートワークの普及が重なることで、「北陸で働く」の意味が変わりつつあります。
従来は「北陸で働く=北陸の企業に勤める」でしたが、今は「北陸に住みながら都市部の企業にリモートで働く」という選択肢が現実味を持っています。これは北陸の企業にとっては脅威ですが、見方を変えれば「都市部の企業で働いていた優秀な人材が北陸に住んでいる」という状況を活用する機会でもあります。
北陸の企業が取り得る戦略として、いくつかの方向性があります。
「フルリモート採用の導入」は、自社もリモートワークを活用することで、「北陸に住んでいなくても自社で働ける」環境を整える方法です。これにより、都市部や他地域の人材にもリーチできます。
「ハイブリッドワークの設計」として、「週3日出社、週2日リモート」のような柔軟な勤務形態を用意することで、「北陸に住みつつ、時々都市部にも行きたい」という候補者のニーズに応えられます。
「北陸在住のリモートワーカーへのアプローチ」という視点もあります。都市部の企業にリモートで働いている北陸在住者の中には、「できれば地元の企業に貢献したい」という思いを持つ人もいます。こうした層に対して、「北陸の企業で、リモートワークもできる環境で働きませんか」とアプローチすることが考えられます。
新幹線通勤の可能性と限界
「新幹線通勤」は、北陸と都市部を結ぶ新しい通勤スタイルとして注目されていますが、その可能性と限界を冷静に整理しておく必要があります。
金沢から東京まで新幹線で約2時間半、富山からは約2時間10分、福井からは約3時間です。毎日の通勤は現実的ではありませんが、「週1〜2回の新幹線出社+残りはリモートワーク」であれば、成り立つ職種もあります。
しかし、新幹線通勤のコスト(金沢〜東京の定期代は月額約20万円程度)は企業負担としても個人負担としても大きく、現時点では限られた層にしか適用しにくいのが現実です。
北陸の企業にとってより現実的なのは、「新幹線で行ける距離に優秀な人材がいる」という事実を活かし、「月1〜2回の対面ミーティング+日常はリモート」という形での採用を検討することではないかと思います。
採用マーケティングとしての「北陸ブランド」の構築
新幹線延伸を契機に、北陸という地域のブランド力を採用に活かすことを考えてみます。
北陸は、食文化(日本海の海の幸、富山のます寿し、金沢の加賀料理)、自然環境(立山連峰、白山、能登半島)、歴史・文化(金沢の茶屋街、兼六園、輪島塗)、教育環境(持ち家率・教育水準の高さ)——多面的な魅力を持つ地域です。
しかし、これらの魅力が「採用メッセージ」として体系的に発信されているかと言えば、まだ十分ではありません。各企業が個別に採用活動を行うだけでなく、地域全体として「北陸で働く魅力」を発信する取り組みが求められます。
自治体や商工会議所が主導する「合同採用イベント」「UIターン転職フェア」「北陸暮らし体験プログラム」——こうした取り組みに企業が積極的に参画し、地域ぐるみの採用力を高めることが重要です。
個社レベルでは、「北陸で働くことの魅力」を採用広報に組み込むことが基本です。自社の仕事内容だけでなく、「この地域で暮らすことの豊かさ」を具体的に伝えるコンテンツ——社員のライフスタイル紹介、地域の行事への参加の様子、北陸の四季の美しさ——を採用サイトやSNSで発信することが、候補者の関心を引きます。
ある北陸の企業が「新幹線延伸」を活かした話
石川県のある部品メーカーの事例をお話しします。
この企業は、新幹線延伸を受けて「首都圏からの転職者を積極的に採用する」方針を打ち出しました。しかし、最初の1年間は苦戦が続きました。求人を出しても、首都圏の候補者からの応募は期待ほど増えなかったのです。
原因を分析したところ、「求人情報を見ただけでは、北陸で働くイメージが湧かない」ことが判明しました。仕事内容は魅力的に書いてあるが、「石川県で暮らすとはどういうことか」が伝わっていなかったのです。
対策として取り組んだのが、「移住者インタビューシリーズ」の制作でした。すでに首都圏から転職してきた社員5名のインタビュー記事を作成し、採用サイトに掲載しました。「なぜ北陸に来たのか」「暮らしてみてどうか」「仕事と生活のバランスはどう変わったか」——こうした率直な体験談が、候補者の不安を解消する力を持っていました。
さらに、「新幹線で面接に来る候補者への交通費支給」と「面接と同日の生活体験ツアー」を組み合わせたことで、応募から選考参加への転換率が大きく改善しました。「新幹線でサッと来て、面接して、まちを見て、その日のうちに帰れる」——このスムーズな体験が、候補者の心理的ハードルを下げたのです。
結果として、翌年度には首都圏からの中途採用が3名成立し、うち2名が入社2年目を迎えた時点でも定着しているとのことです。
人材流出への対策を「経営数字」で語る
新幹線延伸による人材流出リスクを経営に伝える際、「数字」で語ることが効果的です。
例えば、自社の中堅社員(年収500万円)が1名離職した場合のコストを計算します。採用コスト(求人広告・エージェント手数料・選考工数)が100〜150万円、入社後の立ち上がり期間(3〜6ヶ月)の生産性損失が100〜200万円、離職者の業務を引き継ぐ既存社員の残業増加コストが年間50〜100万円程度。合計すると、1名の離職で250〜450万円のコストが発生します。
年間5名の離職が発生すれば、1,000万円〜2,000万円規模のコストです。
一方、定着施策(エンゲージメントサーベイの導入、キャリア面談制度の整備、報酬の競争力改善)にかかるコストは、年間200〜500万円程度で始められます。
「離職を年間2名防ぐだけで、定着施策のコストは回収できます」——この計算を経営に示すことで、定着施策が「コスト」ではなく「損失防止のための投資」として位置づけられます。
よくある失敗パターン
「新幹線で人が来る」と楽観する
新幹線は人を運ぶだけであり、人を惹きつけるのは企業と地域の魅力です。交通アクセスの改善は「必要条件」であって「十分条件」ではありません。
流出対策をせずに採用だけに注力する
「新しい人を採る」ことに集中して、「今いる人を守る」ことを怠ると、採用しても離職が増えるという悪循環に陥ります。採用と定着は同時に取り組む必要があります。
都市部と同じ条件で競争しようとする
報酬や福利厚生で都市部の大手企業と正面から競争しても勝てません。「北陸だからこそ提供できる価値」——生活の質、仕事の幅広さ、地域への貢献——を差別化要因として打ち出すことが重要です。
「事業を伸ばす人事」を北陸の変化の中から
北陸新幹線延伸は、北陸の採用市場に大きな変化をもたらしています。この変化を「脅威」として恐れるか、「機会」として活かすかは、人事の戦略次第です。
変化に対応するためには、まず「現状を正確に把握する」ことから始める必要があります。自社の採用・定着データを分析し、新幹線延伸の影響がどこに出ているかを確認する。その上で、「外から来てもらうための施策」と「中の人を守るための施策」の両方を、経営数字に基づいて設計する。
北陸新幹線延伸は、北陸の企業が「人事の戦略」を本格的に考えるきっかけになり得ます。交通インフラが整った今、問われているのは「その上に何を載せるか」——つまり、企業と地域の魅力をどう伝え、どう人を惹きつけるかです。その答えを、北陸の一社一社が考え始めることが、地域全体の採用力を高めることにつながるのではないかと思います。
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